つれづれ雑ぐさ

新たな時代変化への想いを、自身の実体験とともに日記調に書きなぐったものです

ことわざの重み その9(緊急特別版)

早くから、その実力を評価されていたプロゴルファー松山英樹がマスターズでついに優勝した。マスターズで優勝することの難しさは、知れ渡っていたこととは言え、いつかは取るだろうと言われていた松山英樹でさえ、10年かかったのである。

ことわざの重み その8で、ことわざ「石の上にも3年」の意義について考えたことを思い出す。凡人でも「石の上にも3年」の覚悟で我慢すれば見えてくるものがあるという。

凡人とは到底言えない、類まれな素質と才能を持ち、かつ想像し難いほど不断の努力を重ねた松山英樹だが、マスターズという途轍もない高い頂きを目指したとは言え、「石の上で10年」我慢した結果なのである。

ことわざは、名もなき人々が、人生における艱難辛苦を乗り越える過程でたどり着いた、ある種悟りの境地で紡ぎ出した言葉(真理)だと思うが、超人「松山英樹」は、ことわざ「石の上にも3年」の意味する重みを、さらに深化させ高次元で証明したと言えるのではないだろうか?

あらためて、松山英樹さん、マスターズ優勝!本当におめでとうございます。

 

若返りのために必要なこと  その2

前回からつづく

人間は歳を重ねるだけでは老いない、「夢」を捨てる(あきらめる)度に老いてゆくというのは、歳をとると、したいことがあっても、しようとしないであきらめてしまうこと、想いがあっても、行動を起こさないようになることと言い換えてもいい。

一方、幼子は、這い這いに始まり、つかまり立ちから、歩行を始め、いたずらを覚えながら成長を遂げてゆく。幼子が、大人のような観念としての明確な「夢」を抱いて行動するとは思えないが、少なくとも、未知のものへの好奇心が、その行動の原動力になっているようには思える。

すべてがおぼつかないままであっても、失敗を恐れず繰り返し何度でも果敢に挑むチャレンジ精神にあふれた幼子の行動は、はたから見ているだけで微笑ましく、応援したくなるような、何とも言えない感動を呼ぶものである。

そして、この「未知のものへの好奇心」により誘発される「失敗を恐れずチャレンジする行動」こそ、幼子に限らず、世代の違いを超えたすべての人間が、いつまでも若々しくあることの秘訣ではないかと思うのである。

未知のものへの好奇心によりチャレンジする行動とは、具体的には、新しいことへのチャレンジであるが、この新しいことは、無理して新たに考え出す必要はない。今まで、したいと想っていたことで事情等によりできなかったことで十分である。

また、できなかったことでなく、今までにしたことがあり、していたことであっても、自身が納得できるものになっておらず、再チャレンジしたいものでも、もちろんいい。なぜなら、納得できないものへの好奇心がまだ残っているからである。

つづく

 

若返りのために必要なこと

若返りのために必要なことを考える前に、そもそも、若返りが必要か?という議論もありそうだが、それはさておき、誰しも、年齢を重ねていっても、基本、若々しくいたいものという前提に立って話をしたい。

生理学的に冷静に考えれば、若返ることなどありえないと思う。それに、若返りとは言え、若々しさの基準があるわけでもなく、人相互の比較で、相対的に若々しく見える、老けて見えると言っているだけのことである。

それが分かっていて、なお若返りに執着するのは、歳を重ねても若々しくいたいという人間の強い願望が込められているからであろう。若返り≒歳を重ねてもできる限りいつまでも若々しくあることと定義し直すと見えてくるものがある。

人間は歳を重ねるだけでは老いない、「夢」を捨てる度に老いてゆくという話を聞いた覚えがある。その当時は、そんな「夢」のような観念的なものが若々しさに関係するのか、非常に疑問に感じたが、今は、少し分かるような気がしてきた。これから、その理由について述べていきたいと思う。

つづく

 

ネットオークションの楽しみ方  その4

その3から続く

オークションへの出品は、単なる断捨離の一手段でなくモノの価値を気付かされる意義深い活動である。モノ造りにも歴史があるからである。例えば、フィルムカメラから、デジタルカメラに変わり、さらにスマホの機能の一つに組み込まれていく歴史を知ると、出品物に如何なる価値を見出だし、どのくらいの価格設定で打ち出すべきか思案することが楽しくなるのである。思案するとは、出品物の紹介・説明であり、宣伝であり、競合する出品と比較しながらの収益を考慮した価格設定(値付け)すること等々である。

 すなわち、例えば、フィルムカメラ、本格的な一眼レフは、フィルムが必要で現像・焼き付けも必要、撮影に関しては距離・露出などを手動で設定しなければならず、素人には、何とも面倒なシロモノと思う人がいるかも知れない。

しかし、一方でずっしりと重く堅牢なボデー本体、シャッター音ひとつとっても重厚な響き、シャッターチャンスを逃さないために距離や露出合わせなど複雑な操作をマニュアルで素早くすることに限りない喜びを見出すマニアもいるのである。

 こうした、商品自体の持つ特徴・魅力の違いを考えると、オークション出品は、まさに事業(商売)の運営感覚に似ていることに気付く。商売との違いは、特別な仕入れや製造がなく、手元にある在りモノで済ませていることぐらいである。在りモノもモノであることに変わりはない。さすれば、モノを売る商売と同様、希望の額で落札された(売れた)とき同様、そのモノの価値を吟味し値付けしていく過程こそ、オークション出品の醍醐味であることは間違いない。 

本番で上がらないコツ

あるTV番組で、Qちゃん(オリンピック・マラソン金メダリストの高橋尚子さん)がMCから、表題のことを聞かれ、「ライバルを含め、これだけは誰にも負けない!と自負できるものがあれば、上がることはありません!」と断言していたのが、とても印象に残っている。

本番で上がらないとは、本番で強い気持ちを持てるということだが、Qちゃんは現役当時、毎日、腹筋2000回をこなす訓練をしていたそうで、その練習量だけは誰にも負けない自負があったらしいのである。その自負(自信)が見えざる実力と化し、ライバルを前にして、そのライバルの迫力・凄みに飲み込まれず平然(冷静)としていられた理由のようなのである。

毎日、腹筋2000回という、常人には到底、考えられない過酷な訓練であるが、確かに、そんな途方もない練習を積んでくれば、勝負の結果如何によらず、「ここまでやって負けるなら悔いはない!」という、ある意味、悟りの境地に達するような気もする。

本番は、必ずしも、競争の世界ばかりではなく、試験や発表会、演奏会など様々なシーンで訪れる。「いつも出来ているのに、上がっちゃって頭真っ白になりミスっちゃった!」は、自身、日常茶飯事であるが、正直、言い訳がましいと思うことも多い。

やはり、練習不足、実力不足であることを素直に認め、謙虚に反省し、さらなる練習にいそしまなければならないのだろう。コロナ禍の東京五輪がどうなるのかは分からない、しかし、アスリートの方々が、観客の有無に関わらず、蓄えた実力を本番で発揮するための過酷な練習に打ち込んでいることは確かだ!応援してあげたいと、心から想う。

 

ことわざの重み その8

最近、いろいろな話を聞く中で、ある夢を抱きその夢の実現に向けて懸命に努力しても、やはり、その芽が出て花が咲き、当初の想いが叶うまでには最低3年ぐらいはかかるのだろうなぁと思う。

ある意味、ことわざ「石の上にも3年」は、辛く苦しくても3年ぐらいは腰を落ち着けて、決めたことをやり続けることの意義を説いているように思う。確かに、好きで始めたことであっても、1年続けることはそう簡単ではない。

それが3年ともなれば、途中で壁にぶち当たり、スランプに陥り、やる気を失うことも十分考えられる。ただ、不思議なことにそれは寄せては返す波のように周期的にやってくるのである。

したがって、「継続は力なり」のことわざの通り、不断の工夫、努力を怠らないことが前提となるが。継続の仕方を間違えなければ、不調の波は乗り越えられるような気がするのである。3年は長いのか短いのか捉え方は様々であろうが、3年保育に始まり、六・三・三・四制の学校制度など、「3」の絡む制度は多い感じがする。

もっとも、ことわざ「三つ子の魂百まで」によれば、3歳までに、個人の全人格の8割が形成されるという、ある意味、重い3年もあるにはあるが、3年ぐらいの期間スパンで、焦らず慌てずじっくりとコトに当たることの大切さを実感する今日この頃である。

 

子育ての究極目的

いまさら大上段に振りかぶって語ることではないかも知れない。賢明なる諸兄にとっては分かり切ったことかも知れないからだ。ただ、最近、数十年ぶりに動物園に出掛け、子育てについて、何となく思っていたことの確認ができた思いがするからだ。

自身は、子育ての究極の目的は、子どもを親なしで自立させることだと思っていた。親もいつかは老いぼれ死ぬからだ。どんなにかわいい子どもであっても、親は、いつかは、どんなに面倒を見てやりたくてもそれができなくなる時が来る。

その後は、子どもは一人で生きていかねばならない。すなわち、自立しなければならない。基本、頼るものはないのである。自ら食い扶持を得ながら、生活し、家庭を築き家族を増やし、さらに自分の城(家)を構えるかも知れない。

生存競争は、自然界のすべての生物に共通するものだが、天敵もいる。それを知っているからか、動物の親は本能的に、子どもを生んだ直後から、必死になって子どもの自立を図り、天敵から身を守る術を教えこむ。

一方、動物園の各種動物は、囲いや柵で仕切られ、自然界の弱肉強食の世界からは隔絶された保護下にはいる。その環境を、動物園の動物たちがどういう想いでいるかは想像する余地もないが、子どもが生まれた親が、野生にいるのと同様に、子どもの生き残りをかけた自立を教え育んでいると信じたいものである。