早いもので、2023年が明けたと思っていたら、いつの間にか、1月もあと数日で終わろうとしている。元旦以降のマイブームで特筆すべきものは、3年ぶりのスキーであったが、今年最初の念願が叶ってまずはホッとしている。
ところで、念願の達成に関連して、年の始めは「一年の計は元旦にあり」といわれるように、その年の目標を立てることだろうか?それはそれですばらしいことだと思うが、目標の達成には時間を要することも考えられ、必ずしも容易でないことも多い。
そういう意味では、自身は、年の始めには、もっともしたくない苦手なことから始めるべきではないか?と思っている。なぜなら、もっともしたくない苦手なことは、できれば先送り(後回しに)しておきたいことだからである。
ただ、「先送り(後回しに)している」と自覚しているなら、まだ救いはある。なぜなら、いずれしなければならないという前向きな意識・姿勢を感じるからである。しかし、その意識・姿勢を実行に向かわせることは容易ではない。
どうしたらいいのだろうか?自身は、ヒマですることがないなら、とりあえずそのことを最優先して即実行すべきと考える。本来、先送り(後回しに)していることがあると自覚しているなら、ヒマですることがないわけではないからだ。
しかし、心理の実態は、年の始めという建前で、過去(前年)の結果・実績をリセットし、出来たこと・出来なかったこと(得意なこと・不得意なこと)をひっくるめ重みづけせず一律に目標設定しがちである。
これこそ、毎年、年の始めに心機一転、「今年こそ、○○やるぞ!」とあれこれ目標設定しながら、そう目標設定したことで満足し、実行したような錯覚(気分)に陥っているだけの、現在のありのままの自分なのである。
そこで、今年は、少しスタンスを変えてみることにした。それは、実行の「こま切れ化」である。好きでもない苦手なコトを長い時間続けられるはずはない、すぐに飽きるのはやむを得ない。
したがって、苦手なコトをするのに、どんなに短い時間で飽きても、それはそれでいい!と割り切る。そして、そのときは、すぐに好きな得意なコトに切り替える。好きで得意なコトは長い時間続くかも知れないが、それもそれでいい!と割り切る。
例えば、子どもが親から「ゲームばかりしていないで、勉強しなさい!」と言われたとする。子どもは渋々、一旦ゲームを中断し、勉強に切り替える。しかし、勉強には身が入らずすぐに飽きて、再びゲームに戻りまた長い時間熱中する。
こうして、ほんの短い時間の勉強と長めの時間のゲームを交互に繰り返し続ける。親の「気が散ってばかりで、何と言う集中力のなさ!」という嘆きが聞こえてきそうである。しかし、これでいいのではないだろうか?短い時間の勉強でも、ゲームから戻って繰り返すのであれば・・・
このように、実行の単位を細かく小まめに切り替える「こま切れ化」によって、好きとはいえない不得意なコトも、ことわざ「塵も積もれば山となる」とあるように、全体として、こま切れの積み重ね(上げ)効果により、出来るようになっていくのでは?と期待している。
一日一日のこま切れの積み重ねで1か月になり、1か月1か月のこま切れの積み重ねで12か月(1年)になる。まだ、12分の1が過ぎようとしているだけであり、年の始めと考えていいのではないだろうか?本トライの結果は、また後ほど報告したいと思う。
つづく
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