つれづれ雑ぐさ

新たな時代変化への想いを、自身の実体験とともに日記調に書きなぐったものです

見えてきた五輪の将来像 その2

五輪において、一堂に集わなければならないのは、基本、競技に参加するアスリート、競技の公平性を担保する最小限の大会関係スタッフである。そして、忘れてはならないのが、各国メディアである。

なぜなら、世界各国に、情報を配信する極めて重要な役割を負っているからである。五輪を見に行きたくても行けない人々は多い。さらには、戦禍や貧困、飢餓・疫病などの災害に見舞われ、五輪どころではない国々も確かにあろう。

しかし、そうであっても、五輪開催の状況は伝える必要があるように思う。なぜなら、それが紛れもない現実だからだ。各国における賛成・反対・批判など様々な反応を含め、その現実と反応を伝えられるのは、メディア以外にないのである。

そういう意味で、これからの競技場に最低限必要なのは、巨大な観客席ではなく、世界各国メディアが、競技の状況・感動を各国に情報発信できるメディア(取材記者)席の確保なのである。

古代コロセウムの時代から「競技は競技場へ行って見るもの」という現地主義に基づいてきた。しかし、グローバル高度情報社会となった今後は「(例えパンデミック等による異常事態でなくても)五輪競技は、基本、世界中でインターネットなどを通じ、自宅(自国)で見るもの」に変貌していくのは間違いない。

TVに映しだされる無観客の国立競技場を見ながら、現在の巨大競技場はどのような規模・形態に姿を変えていくのか?観客で埋め尽くされた50年以上前の国立競技場放映シーンと見比べながら思いを巡らす自分がいた。

つづく