つれづれ雑ぐさ

新たな時代変化への想いを、自身の実体験とともに日記調に書きなぐったものです

見えてきた五輪の将来像

東京五輪の競技中継を見ていて感じたことがある。それは、無観客でもまったく違和感を覚えないことである。メディアも観客のいない観客席にカメラを振る意味がないため、その分、アスリートの一挙手一投足に焦点を当てて中継しているように見える。

よくよく考えてみれば、アスリートの活躍、頑張りさえつぶさに見ていられれば、観客席の動向(応援・熱狂ぶり)などどうでもいいのかも知れない。むしろ、メディアが、アスリートの活躍ぶりをそのプロセスやエピソードまで含め感動物語として、うまく構成、表現してくれたものを見ている方がより嬉しく、楽しいのである。これこそ、まさに、アスリート・ファーストということではないか?とも思う。

もちろん、アスリートの活躍を、現地現物で間近で見たいという人たちの想いも分からないではない。しかし、古代コロセウムの巨大競技場があった時代と、現代を比較すると、決定的に大きな違いがあるのではないか?それは、現代が、インターネットなどのメディアが世界を巡る高度情報社会であるということだ。

現地現物でしか、アスリートの活躍を見られなかった時代は、競技場に直接足を運ぶしか方法がなかったのである。そして、競技をみたい多くの人たちを一堂に収容するために、その競技場は巨大にならざるを得なかったのではないだろうか?

つづく