「出処進退」とは、「役職にとどまることと役職を辞すること」あるいは「身のふり方や身の処し方」という意味である。そして、「功名を成し遂げたら去る、その身の処し方は、いにしえの賢人と同様である」という意味のようである。
ここで、気をつけるべきは、上記の「功名を成し遂げたら・・・」という前段の言葉と「・・・いにしえの賢人と同様・・・」という後段の言葉である。ここでの肝は、「功名を成し」と「賢人であること」であろう。
政治家・経営者など、他人から解雇されない人の出処進退は、自らが決めることになるが、そこには、晩節を汚すことがないよう「功名を成し遂げたら」という前提が付くと思われる。
それでは、功名を成し遂げるどころか、その真逆の疑惑等で国民から不信の極みを買うような政治家であっても、「政治家の出処進退は自ら判断するもの」としておいて問題はないのだろうか?
答えは、敢えて言うまでもないであろう。ある国の政治で、不祥事が起きるたびに多用される「政治家の出処進退は自ら判断するもの」という決まり文句だが、国民目線からかけ離れた「ポストに執着する、賢人とは思えない人」の処遇方法を見直さない限り、早晩、政権の命取りにつながることは避けられないであろう。