つれづれ雑ぐさ

新たな時代変化への想いを、自身の実体験とともに日記調に書きなぐったものです

見えてきた五輪の将来像 その4

東京五輪で、アスリートの悲鳴が聞こえてきている。「こんな酷暑の危険な環境下で(生死がかかるような極限状態の)競技をさせるのか?!」という抗議も含めた悲鳴である。まったく、もっともな意見だと思う。

通常ならば、一般人には「この酷暑の中では、野外スポーツは危険なので控えてください!!!」と警告している状況である。アスリートは、普段から身体を鍛えているから大丈夫とでも考えているのだろうか?

アスリート・ファーストとは、アスリートの競技環境における健康・安全面を熟慮したものでなければ意味がない。アスリートがコロナ感染しているか否か、他に感染させる恐れはないかだけではない。

そういう意味で、これからの五輪は、ことわざ「適材適所」ならぬ、「適時適所(自身の考えた造語であるが・・・)であるべきである。適時適所とは、アスリートが、競技をするのに相応しい時期(含む時間帯)・場所を選定するということである。

すなわち、開催時期に、例えば酷暑、風水害など悪環境が予想される国を選定から外すのである。今や五輪は、競技場に足を運ばずとも、自宅(自国)でインターネットを通じて見られる環境にあると前回も述べた。

したがって、アスリートが環境に恵まれた世界のどの国で競技に参加してもよく、むしろ、アスリート・ファーストに徹し、適時適所の言葉通り、競技種目毎にその開催時期・会場が世界中に分散していても、何の問題もないのである。

そうなって初めて、アスリートが、誰のためでもなく、自分のために真に心から「さぁ舞台は整った!よし、頑張ろう!」、また、競技結果に関わらず「精一杯、頑張ってよかった!」と思える五輪になるのではないだろうか?

つづく