つれづれ雑ぐさ

新たな時代変化への想いを、自身の実体験とともに日記調に書きなぐったものです

言葉の意義の逆転

新コロナ感染症禍は、言葉の意義を大きく転換させるかも知れない。その言葉は、今の社会生活の常識にまでなった「三密の回避」に使われる「密」である。密を含む熟語は、「精密機械」「高密度」「・・・と密接に関連・・・」「・・・と密に連携し・・・」など、自身の意識でも、おおむね前向きないい意味で捉えてきた。しかし、感染症禍は、この意義に再考を促しているようにさえ思える。

これに対して、密の反義語は、疎密の「疎」であると思われるが、この疎の熟語で思い出せるのが、自身の貧しい語彙力では、空疎しかない。空疎は、まばらで内容が乏しいさまである。また他には、疎外感、過疎などもあるが、いずれも、あまりいい印象を持てない熟語である。念のため、「疎」の意味をネットで検索してみると、ある辞書サイトでは、以下のように解説されている。

・間がすいていること。まばらなこと。また、そのさま。「人口密度が疎な地域」

・関係が薄いこと。うといこと。また、そのさま。「級友との仲が疎になる」

しかし、現代社会はある意味、密になり過ぎたこと、例えば、情報化社会における、個人情報の流出、SNSにおけるプライバシー侵害などを懸念する動きが出てきた。また、例えば、公衆トイレで、他人の座った(密着した)便座には直接座りたくないなどの意識変化により、便座の事前消毒や便座シート使用などの行動変化も起きている。さらに、ある民放の、山奥にある「ポツンと一軒家」を訪ねる番組が注目を集めているという話もある。

こう考えてくると、「疎」は、今後はその意義が見直される可能性もありそうである。解説にもある「間がすいていること」は、生活をする上では、気持ちのゆとり・余裕につながる面もあり、緊張やストレスなどを感じにくい状況とも言える。この先、誰もが好印象を感じる、新しい「疎」の絡んだ熟語が見出され、「疎」と「密」の言葉の意義が逆転するときがくるのかも知れない。